追悼
「加藤理夫さんを偲ぶ 」 柳 健一
加藤さんの訃報は突然でした。10年来、業病と戦いつつ、上海で活躍されている事は漏れ聞いていま
した。また、先年、臼井君・戸田君両ご夫妻と倉持君が上海で加藤さんと出会い旅行を楽しまれた話と、
加藤さんは少し痩せられたが、相変わらずダンディーに決めている写真を拝見して、心配は薄れていた
ため、突然の訃報に驚いた次第です。
加藤さんとの出会いは1954年だったと思います。私の1年先輩で、とにかく元気で各種イベントに積極
的に参加されていました。翌年のクリスマスの大人の礼拝で、スカウトがイエス様の生誕劇を披露する機
会がありました。加藤さんと私達は「3人の博士」役でしたが、彼のアイデアで馬小屋へ導く星を作り、礼
拝堂の2階席にいる教会学校の同年の人に、懐中電灯で星を照らすよう頼みました。さて、劇が始まり、
3人の博士の出番となって、「あの星に導かれて・・」と2階席を指差しましたが、星がいっこうに光りませ
ん。依頼した友人が隣人との会話に夢中で、すっかり忘れてしまったためでした。彼は劇のあと、忘れた
友人に鉄槌を食らわしたようです。脂汗を流した思い出の劇です。
高校生の夏・1959年に第10回世界ジャンボリーがフィリピンで開催され東京4団(現港1団)から、
安積、加藤、小林、木下、柳の5名が参加しました。全国のスカウトとリーダー500余名が、白山丸という
戦後引き揚げ船として活躍した4000トンの船で8日間かけてマニラ港まで行きました。その航海は大変
印象深いものとなりました。私達の船室は、船首甲板下の,船倉を急改装した畳の部屋でしたが、海が
荒れると、船首は空中に飛び出し、それから波に突っ込みます。絶えず上下するエレベーターの中にいる
ようなもので、ほとんどのスカウトが船酔いして、汚物を撒き散らし、部屋の中は酸いた匂いが充満してい
ました。そこで、加藤さんと数人で相談し、毛布を持って、目の届かない船尾の甲板に逃げ出し、数日間
こっそりと甲板で夜を過ごしました。小さな船でしたから、手を伸ばせば波がつかめるような場所でした、
海風に吹かれて良い気持ちで熟睡できたことが昨日のように思い出されます。
こういう面白く少しやんちゃなアイデアを持っている人でした。一言でいいますと「ガキ大将」でしょうか。
かれと接した者は皆、異口同音にそのように申します。加藤さんと過ごした少年期の日々を思い返すと
楽しい話が山のように出てきます。
いつかゆっくりと語り合いたかったですが、今は小林隆君、大浜良友君や今田さん、飯田さん達と語り合
っているでしょう。
心からご厚誼を感謝いたします。安らかにおやすみ下さい。
[ 御礼申し上げます] 加藤正夫
先日、兄を偲ぶ会には多くのボーイスカウトの関係者の方や同級生等、ご多忙中にも関
わらず大勢の方が出席して頂き亡き兄に代わり御礼申し上げます。
兄は70歳で人生を終えましたが、上海ではレナさんと言う最愛の伴侶にも恵まれ、
心安らかな最期を迎えられたと思います。弟の私としては、兄の死を受け入れるには
辛い想いでしたが、反面、我がままな兄を最後まで見届けて下さったレナさんには本当
に感謝しております。偲ぶ会にレナさんも出席して頂き皆様にご紹介来た事は兄も喜ん
でくれていると思います。
末筆になりますが、生前兄がボーイスカウトの活動で皆様に大変お世話になりました
事を厚く御礼申し上げます。