「霊南坂スカウト始まりのとき」
1947年2月22日は、霊南坂教会でスカウト活動が始まった記念する日。当時は太
平洋戦争敗戦直後で日本は焦土化し、青少年にとって夢や希望が描けない、まず生き
ることに日々を過ごす時勢でした。この時代は連合国軍総司令部(GHQ)の施政下、い
わゆる進駐軍による占領下に日本はありました。
米国アラバマ州で教会のスカウトまたリーダーを経験し、GHQ軍属の化学者として来
日していたマーティン・ウィリアムズ氏と日系二世でハワイでスカウト経験のあった今井
襄二氏の二人の青年が小崎道雄牧師を訪ねて教会でのスカウト活動を勧め、同牧師の
応諾により日曜学校の中学生徒と近隣の西桜小学校児童とでのスカウト活動が始まり
ました。その後、小崎朝子(芹野)さんらをリーダーにガールスカウトの活動が始まりました。
霊南坂教会100年史には、「スカウト運動それ自体は教会の伝道と直結するものでは
ないが、その創始者である英国人のベーデン・パウエル卿夫妻のキリスト教信仰と理想
に基づいてキリスト教的な人格形成をめざし、我が国の理想的な社会と健全で明るい家
庭を作ることに寄与しようとする少年少女のための運動であるとして、霊南坂教会は戦後
の荒廃した市民の日常生活に、このような主旨をもって青少年を中心としたスカウト運動
を積極的に取り入れ、地域への奉仕活動として推進していったわけである。」と記されて
います。
翌1948年6月6日開催の長老会(役員会)では、小崎牧師から提唱され、この時すで
に活動を始めていたスカウト活動を霊南坂教会が正式に承認すると共に、その円滑な活
動と発展のために教会の諸施設の活用はもとより、あらゆる面で理解と協力とをすすめ
てゆく事を申し合わせています。
スカウトはこれに応えて教会の伝道集会、雨の日曜日の朝、教会の下足番や傘の預
かり、教会の諸行事での案内や整理、また全国教会学校大会(青山学院や日比谷公園)
での誘導、案内などの奉仕活動を行いました。当時、スカウトやリーダーの大多数が教会
の近隣に居住しており、スカウトは学校生活も現在ほど忙しくなく土曜日はスカウト活動、
日曜日は教会学校での学びの日々でした。
1966年2月の長老会ではスカウト担当長老(役員)をおくことを決め、更に教会でのス
カウト活動が始まった日であり、創始者ベーデン・パウエル卿の誕生日である2月22日
に最も近い日曜礼拝を「スカウトサンデー」とし、教会全体でスカウト活動を覚えてスカウ
ト関係者を交えての礼拝をまもっています。
また2007年3月23日に「霊南坂教会会則・細則」の改定が行われ、教会学校とスカ
ウト運動が教会教育部会の項に明示され「教会は育成団体として、スカウトの育成にあ
たる」ことを明記し、正式に認証されています。霊南坂教会はチャーチスカウトを育成する
ことを「教会会則・細則」で明らかにしています。
チャーチスカウトは、教会とスカウトがそれぞれの務めを果たす事を基盤にして成り立っ
ています。 (霊南坂教会教報第309号に一部加筆)
ボーイスカウト東京港第1団 名誉団委員長 杉原 正